
本サイトは、「三十糎艦船連合呉支部」の写真館別館である。 写真館などと称しているが、管理人の下手な写真を並べただけのコーナーである。 内容は旧海軍に関するものが多いが、これは呉の近現代史に海軍が多くかかわっているためである。
尚、これらは、少なくとも「指定された時間内」であれば「一般人」が「事前の許可なく」して立ち入ることのできる場所で撮影している。 但し、知らずに私有地や立入禁止区域で撮影してしまった可能性もあるので、現地に行かれる場合は注意されたい。
この地区は、旧安芸郡宮原村にあたる。 宮原村は1902年(明治35年)10月1日に、和庄町・荘山田村・二川町と合併し呉市となった。 宮原の地名は、神武天皇駐在の伝説にちなむとも、地形や農業に関係するともいう。(9)
この地区は旧豊田郡安浦町にあたる。 安浦町は2005年(平成17年)3月20日に、音戸町・蒲刈町・倉橋町・豊浜町・豊町とともに呉市に合併された。 安浦の地名は、1944年(昭和19年)1月1日、三津口町・内海町・野路村が合併し、安浦町が発足した際に、当時の広島県知事横山助成が「浦安かれ」の意を含めて命名したものである。(10)
この地区は旧安芸郡吉浦町にあたる。 吉浦町は1928年(昭和3年)4月1日に、阿賀町・警固屋町とともに呉市に合併された。 吉浦の地名は、芦が繁茂していたことから「あし浦」と呼ばれていたが、「あし」は「悪」に通ずることから「吉」にかえたという。 また豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して当地に立ち寄り、当港を賞して自らの一字をとらせたという話も伝わる。(11)
この地区は旧安芸郡音戸町にあたる。 音戸町は2005年(平成17年)3月20日に、蒲刈町・倉橋町・安浦町・豊浜町・豊町とともに呉市に合併された。 音戸は「隠渡」とも書く。 迫門の口に立つ平清盛の石塔を御塔と称したことにちなむとも、「隠れたる門云義」ともいう。(12)
芸予諸島には倉橋島も含まれるが、ここでは構成上、下蒲刈町・蒲刈町・豊浜町・豊町の4地区とする。
蒲刈の地名は神功皇后が三韓征伐に向かう途中でこの島に立ち寄った際に、櫛を落とし、一面に生えていた蒲を刈って櫛を探したところから蒲刈と呼ばれるようになったと伝えられる。(14)
豊浜は1889年(明治22年)斎島、大浜、豊島の3ヵ村が合併して豊浜村となる。1969年(昭和44年)豊浜村が町制施行して豊浜町になる(15)。
豊は1956年(昭和31年)久友村、大長村、御手洗町が合併して豊町が成立(16)。
下蒲刈町は2003年(平成15年)4月1日に呉市に合併された。 蒲刈町・豊浜町・豊町は2005年(平成17年)3月20日に、倉橋町・音戸町・安浦町とともに呉市に合併された。
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