本文へ

三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

旧呉鎮守府長官官舎(国指定重要文化財)を中心に、郷土館、歴史民俗資料館等がある。

画像をクリックすると拡大表示。 戻るときには表示されたページ下部の「戻る」をクリック。

アクセス

JR呉駅から広電バス宮原線(坪の内経由)または市役所宝町循環線に乗車。 「入船山公園」で下車。

呉探訪バス「くれたん」に乗車。 「入船山公園」で下車。

JR呉駅から阿賀音戸の瀬戸線または呉倉橋島線に乗車。 「眼鏡橋」で下車、美術館通りを登る(徒歩5分)。

入船山記念館の入口から券売所に続く道と塔時計

この石畳は1968年(昭和43年)に廃止された呉市電の舗道を移設したものである。

入船山記念館入口

塔時計(呉市有形文化財)は、1921年(大正10)年に呉海軍工廠造機設計部の屋上に設置されたものを1971年(昭和46)年に現在の場所に移設し、1981年(昭和56)年に時計として復元した。1日4回流れる曲は小中学生の作曲したものである。

塔時計

塔時計

券売所と番兵塔

券売所の建物は、1981年(昭和56年)10月に解体された初代呉鎮守府庁舎の煉瓦を使用して作られている。

初代呉鎮守府庁舎の煉瓦は、イギリス製で一つずつ油紙に包まれて運ばれてきたと伝えられていたが、解体時の調査(呉市建築課長・松下宏氏)により国産であることが判明している。

券売所
右:券売所、左:番兵塔

券売所
券売所

番兵塔
番兵塔

参考資料

  • 呉レンガ建造物研究会編.街のいろはレンガ色:呉レンガ考.広島,中国新聞社,1993,p92-93,p118-119.(ISBN 4-88517-165-2)

往来安全石燈籠

1884年(明治17年)に広村と郷原町をむすぶ旧街道の峠に建てられた常夜灯4基のうちの一つを移設したものである。

往来安全石燈籠

1号館(旧火薬庫)

切石造りのこの建物は、広島湾要塞の一つである高烏山砲台の火薬庫を、1967年(昭和42)年に移設したものである。

1号館

1号館

床下はアーチ型の構造をしている。

1号館

入口階段左側には要塞地帯境界柱が移設されている。

要塞地帯境界柱

要塞地帯境界柱

入口階段左側には第三喞筒室の文字が刻まれた石板がある。 喞筒とはポンプのことで、工廠のポンプ室に取り付けられていたと考えられる。

石板

1号館内部には、郷土出身画家が描いた呉の歴史の一場面が展示されている。 また、弾丸や手榴弾も展示されている。

郷土館

1階は事務室、2階は展示室で旧海軍関係の資料を展示している。

郷土館

砲身

郷土館の前には艦砲?の砲身が置いてある。 これは十年式12cm高角砲の砲身で、1981年(昭和56年)5月に砲架工場跡(神戸製鋼呉事業所機械工場)の土中1.5mで発見された。

全長515cm、口径12cm、質量2910kg

砲身

砲身

こちらの詳細は不明。 24ポンドクラスの艦載砲に似ているようだが、艦載砲から転用された要塞砲の可能性もある。 砲尾近くに「R.P.P. 3490 LBS」の刻印がある。 また、中央近くには「1864 S.O.P」の刻印がある。

砲身

砲身

水蓄式重油槽鉄蓋

旧呉鎮守府長官官舎の前にある。 詳細は次のリンクから。 水蓄式重油槽について

水蓄式重油槽鉄蓋

水蓄式重油槽鉄蓋

戦艦「陸奥」の推進器と装甲板

現在は呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に移設されている。

戦艦「陸奥」推進器

戦艦「陸奥」装甲板

旧呉鎮守府長官官舎(国指定重要文化財)

1889年(明治22年)、呉鎮守府開庁とともに、洋館2階建の軍政会議所兼水交社が建てられ、1892年(明治25年)からは長官官舎として使用されていたが、1905年(明治38年)の芸予地震で一部が崩壊した。 同年、その資材の一部を利用して現在の建物が建てられた。 戦後は1956年(昭和31年)まで占領軍司令官官舎として使われた後、呉市が引継ぎ、1967年(昭和42年)から一般公開されている。

旧呉鎮守府長官官舎

旧呉鎮守府長官官舎詳細。

庭園跡

旧官舎の裏側には、回遊式の庭園跡がある。

庭園跡

庭園跡

庭園跡

庭園跡に石塔があるが、一説によると音戸の瀬戸にある「清盛塚」と関係があるらしい。

庭園跡

参考資料

  • 中邨末吉.復刻再販呉軍港案内.呉,呉郷土史研究会,1999,p59-60.(ISBN4-9980741-1-3)

軍水道防火栓

1889年(明治22年)、日本で2番目に竣工した近代水道の消火栓である。

消火栓

消火栓

消火栓

入船山記念館休憩所−旧東郷家住宅離れ(国登録有形文化財)

入船山記念館入口の左手にある。 東郷平八郎が呉に在任中(1890年5月〜1891年12月)に住んでいた家の離れ座敷を,1980年(昭和55年)に移築・復元したものである。

旧東郷家住宅離れ

旧東郷家住宅離れ

旧東郷家住宅離れ

旧東郷家住宅離れ

正岡子規句碑

呉市美術館の玄関横にある正岡子規の句碑。

大船や
波あたゝかに
鴎浮く

日清戦争中の1895年(明治28年)3月に従軍記者として戦地に向かう古島一念を呉で見送ったときの情景を読んだものである。

正岡子規句碑

正岡子規句碑

応召記念碑

1944年(昭和19年)8月1日呉海軍病院 第九期二等衛生兵45名の応召記念碑。 1966年(昭和41年)4月29日建立

戦後戦後と日が過ぎて
何時の間にやら廿五年
今じゃ人生も峠すぎ
過ぎし二等兵が
なつかしや

応召記念碑

応召記念碑

至誠の碑

海軍第二門の衛兵所(国立呉病院と清水丘高校との境あたり)の衛兵によって、1944年(昭和19年)6月8日に建てられた。 1967年(昭和42年)6月8日に移設された。

至誠の碑

旧水交神社

水交社の守り神として1943年(昭和18)年に海軍によって建立された。 祭神は天照大神である。 終戦後、海軍解体のため祭主を失った同神社は戦災のため焼失した亀山神社の仮社殿として同神社に迎えられた。 亀山神社再建後は一時転々としていたが、1968年(昭和43)年4月、水交会呉支部(旧海軍士官の会)の好意により史跡として復元された。

水交神社

水交神社

水交神社

水交神社

萬古清風の碑

萬古は永久、清風は真理を指し、真理は全てのものに永遠に存在するという意味。 呉鎮守府司令長官海軍大将野村直邦書

萬古清風の碑

萬古清風の碑

水交社への道

この麓にあった水交社へ続く道。 現在は行き止まりになっている。

水交社への道

防空壕

太平洋戦争当時に掘られたもだが、崩落防止のため埋められている。 この防空壕は3箇所に入口があり、中でつながっていた。

防空壕略図

防空壕
(1)

防空壕
(2)

防空壕
(3)

防空壕
(3)

番兵塔と旧型郵便ポスト

歴史民族史料館の渡り廊下の下に番兵塔と旧型の郵便ポストがある。 展示予定品か?

展示予定品?

inserted by FC2 system