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三十糎艦船連合呉支部

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大入魚雷遠距離発射場跡

大入には、魚雷遠距離発射場が置かれていた。 魚雷発射は、明治時代には呉軍港内の予備発射場から麗女島に向けて射線をを持っていたが、艦の出入りが増えたため危険となり港外に移した。 また、遠距離発射場としては、亀ヶ首射場が存在したが、最大射程が10,000mであったため、魚雷の発展に追従できていなかった。 このため、新たにこの地を選び、1917年(大正6年)度末に魚雷遠距離発射場を設置した。(1)(2)

魚雷遠距離発射場の突堤が残っている。 先端部には上家と観測所が置かれていた。

大入魚雷遠距離発射場跡

大入魚雷遠距離発射場跡

大入魚雷遠距離発射場跡

大入魚雷遠距離発射場跡

大入魚雷遠距離発射場跡

また、海中にコンクリート製の構造物が残っているが、これは揚収装置の土台らしい。

大入魚雷遠距離発射場跡

下図に大入魚雷遠距離発射場の配置図(3)を示す。

大入魚雷遠距離発射場

大入魚雷遠距離発射場は、内海に向けて魚雷を発射するので、事故が多かったようである。 以下に、主な事故を示す

1932年(昭和7年)7月3日
  • 発射された魚雷が標的まで達せず、方向を転換し、大入小学校沖100mで「長栄丸(100トン)」に命中した。 船首部に長さ3尺、幅2尺の破孔を生じたが、呉工廠から職工が駆けつけ処置を行ったため沈没は免れた。 また死傷者もなかった。(4)
1932年(昭和7年)12月7日
  • 発射された魚雷が、阿賀港口で乗船待ちをしていた尾崎汽船の客船「紫明丸(120トン)」に命中。 同船は15分後に沈没した。 この事故で機関長が死亡、乗員6名が重軽傷を負った。(5)
1934年(昭和9年)7月6日
  • 発射された魚雷が、広村長浜(現・呉市広長浜)の駐在所脇護岸に激突。 死傷者無し。(6)
1935年(昭和10年)6月7日
  • 発射された魚雷が、広村小坪(現・呉市広小坪)の民家に突入したが死傷者無し。(7)

アクセス

JR安芸阿賀駅から広電バス阿賀音戸の瀬戸線に乗車。「大冠中学校前」下車、徒歩2分。

参考資料

  1. 呉市史編纂室編.呉市史第3巻.呉,呉市役所,1964,p306
  2. 呉新興日報編.大呉市民史 大正篇 上巻.呉,中国日報社,1953.p118
  3. 施設図(其の1)(1).アジア歴史資料センター、リファレンスコード:C08010961600(第24〜27画像目).呉海軍工廠 引渡目録 1/8
  4. 呉日報社編.大呉市民史 昭和篇 上巻.呉,呉日報社編,1965.p304
  5. 呉日報社編.大呉市民史 昭和篇 上巻.呉,呉日報社編,1965.p345
  6. 呉日報社編.大呉市民史 昭和篇 上巻.呉,呉日報社編,1965.p547
  7. 呉日報社編.大呉市民史 昭和篇 上巻.呉,呉日報社編,1965.p656
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