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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

現在の独立行政法人・国立病院機構呉医療センターには、旧海軍病院の遺構はほとんど残っていない。

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石段

病院正面の石段は、唯一残存する海軍病院時代の構造物である。

旧海軍病院石段

呉海軍病院跡碑

1989年(平成元年)3月11日建立。

呉海軍病院跡碑

呉海軍病院跡碑

底栗車(チリシャ)之塔

旧海軍病院時代に実験動物を弔うために建立された慰霊塔である。 1934年(昭和9年)9月に建立された。 終戦時に失われたと思われていたが、敷地を譲渡した清水ヶ丘高等学校の体育館建設時[1975年(昭和50年)]に発見され、病院敷地内に移設された。 「底栗車」とは梵語で畜生という意味である。

底栗車之塔

底栗車之塔

呉海軍病院沿革史 (呉海軍病院跡碑裏面の碑文による)

明治二十二年七月 呉海軍病院と称し開庁、患者収容力一四七名
明治二十七年八月 日清戦争勃発、戦傷病者収容
明治三十年一月 看護術練習規則定められ第一回生九名入庁、同年十二月二十日卒業
明治三十三年五月 北清事変勃発、戦傷病者収容
明治三十七年二月 日露戦争勃発、戦傷病者収容
明治三十七年十一月 日本赤十字社臨時救護班二五名来援、以後事変、戦争時等に来援
大正三年八月 第一次世界大戦勃発、戦傷病者収容
大正七年八月 定員看護婦を採用、以後終戦時迄続行
大正八年十二月 流行性感冒多発、翌九年二月迄の患者総計八四〇名
昭和七年一月 上海事変勃発、戦傷病者収容
昭和九年九月 実験動物慰霊塔建立
昭和十二年七月 支那事変勃発、戦傷病者収容
昭和十三年八月 在院患者一二五七名、開院以来の最大記録
昭和十六年十二月八日 大東亜戦争勃発、戦傷病者収容
昭和二十年八月十五日 終戦により病院は戦後処理が終わる迄診療
昭和二十年九月二十九日 駐留軍の進駐決定により十月二十八日大竹海軍潜水学校跡に移動、診療再開
昭和二十年十二月一日 厚生省国立大竹病院となる
昭和三十一年十月一日 呉海軍病院は厚生省国立呉病院として再発足

アクセス

JR呉駅から広電バス宮原線(坪の内経由)、市役所宝町循環線乗車。「入船山公園」下車。 「国立病院前」より「入船山公園」の方が便利。

呉探訪バスくれたん乗車「入船山公園」下車。

阿賀音戸の瀬戸線(昭和町経由)、呉倉橋島線「眼鏡橋」下車、美術館通りを登る(徒歩5分)。

参考資料

  • 呉病院の風景.http://www.kure-nh.go.jp/kurepicture/.2006年6月3日参照
  • 呉海軍病院跡碑碑文
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