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三十糎艦船連合呉支部

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黄幡弾薬庫

広黄幡町の大部分は、アメリカ陸軍の黄幡弾薬庫になっている。 旧海軍広工廠の南半分にあたる。

黄幡弾薬庫

黄幡弾薬庫

アクセス

広電バス広長浜呉駅線に乗車、「津久茂」下車すぐ。

黄幡山

広黄幡町で立ち入ることができるのは、黄幡山の一部である。 黄幡山には戦時中に機銃砲台がおかれていた。

1944年(昭和19年)1月末日に25mm連装機銃3基の工事完了(1)。 11月現在、25mm単装機銃6門工事中となっている(2)。 単装機銃6門の工事が完成したかは不明。 1945年(昭和20年)5月5日の空襲では、戦死2名、機銃3挺使用不能、消火器破損、防毒面破損、兵舎1棟全壊、兵舎1棟半壊、弾薬庫全壊という、損害を受けている(3)

コンクリート電柱

長浜峠から黄幡山を登ると、尾根道にコンクリート電柱がある。 この電柱の所々に見える傷は、米軍機の機銃掃射によるものだといわれている(4)

コンクリート電柱

コンクリート電柱

コンクリート電柱

戦死者之碑

コンクリート電柱から、尾根道を北に行くと、戦死者之碑がある。 碑の裏側には、1945年(昭和20年)5月5日の戦闘で戦死した12名の名が刻まれている。

戦死者之碑

遺構?

コンクリート電柱の西側にコンクリート製の四角形の遺構らしきものがある。 また、戦死者之碑に行く道の西側にも、土台状の遺構らしきものがある。 これらが当時のものか、戦後に作られたものかは不明(5)

遺構?

遺構?

アクセス

広電バス広長浜呉駅線に乗車、「津久茂」下車。 徒歩10分。

参考資料

  1. 昭和18年12月1日〜昭和19年11月30日 呉海軍警備隊戦時日誌(2).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08030473900(第8画像目).(防衛省防衛研究所)
  2. 昭和18年12月1日〜昭和19年11月30日 呉海軍警備隊戦時日誌(12).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08030474900(第12画像目).(防衛省防衛研究所)
  3. 昭和19年12月1日〜昭和20年7月1日 呉海軍警備隊戦時日誌戦闘詳報(4).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08030475500(第14画像目).(防衛省防衛研究所)
  4. 呉市立白岳小学校編.ひろ戦跡ガイド 第4版.呉,呉市立白岳小学校,2005年,1枚
  5. 黄幡山・八郎山 防空機銃砲台.http://www17.big.or.jp/~father/aab/kure/ohban/ohban.html.(2010年12月6日参照)
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