呉線に関して、1929年(昭和4年)4月15日に呉商工会議所総会で「呉広島間哲道電化要望の件」が可決され、呉線電化運動が開始された。 同年8月23日には、電化までの暫定措置として、無煙化の要望を門司鉄道局に陳情した。 この後、毎年のように無煙化が要望されたこともあって、気動車(ガソリンカー)が導入されることとなり、1934年(昭和9年)4月10日から臨時列車として運転が開始され、同年6月8日のダイヤ改正から定期列車化された。 気動車は上下64本の内、上下34本の運転に投入されている。
気動車導入直後の1934年(昭和9年)6月8日に呉商工会議所より、ガソリンカー停車場設置の陳情書をうけた鉄道省が、工事費および周辺道路の整備を請願者側で負担することを条件に停車時用設置に合意、住民からの工事費1,400円の寄付をえて、1935年(昭和10年)11月24日に川原石駅が開設された。 しかしながら、ガソリン消費規制にともない、1940年(昭和15年)にガソリンカーが廃止となったため、一時休止となった。
1955年(昭和30年)9月20日に、呉〜広島間に気動車列車2往復が復活、これにともなって地元の要望に応え、1958年(昭和33年)8月1日に川原石駅が再設置された。 交通公社の時刻表1958年11月号によれば、呉〜広島間の普通列車(上り21本、下り20本)のうち上り10本、下り11本が気動車列車で運転され、上り9本、下り10本が川原石駅に停車している。
現在の川原石駅は、呉線輸送能力強化のため列車交換設備を設置する目的で、1999年(平成11年)2月7日に広島側に移転した。
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海岸二丁目の大正湯前にある街灯に「川原石駅入口」の名前が残っている。
小さな待合室があったが、現在は撤去され、プラットホームと駅名標の支柱だけが残っている。
駅前とは思えない佇まいであるが、残された看板は、ここがかつて駅前通りであったことを示している。
二代目・旧川原石駅の西側海寄りにプラットホームのような構造物がある。
現在は道路として使われているが、土地境界標を見るとJRの所有地であり、中央部分に電信柱を切り取ったような跡がある等、通常の通路としては不自然である。
呉市史第5巻529ページの川原石停車場の写真を見ると、プラットホーム中央部に電柱が立てられている。 また、プラットホームは海側にあり、山側は崖になっていたようだ。 以上より、この場所が初代・川原石駅跡の可能性が高い。