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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

この周辺には、交通施設に関する遺構が比較的多く残っている。

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架道橋

この地区には、呉線建設当時の煉瓦造りの架道橋が残っている。 いずれも石積みの上に煉瓦をアーチ状に積み上げた構造をしている。

川原石第四橋梁

川原石第四橋梁は通路と水路の併用橋であったが、水路は暗渠となり通路専用として使われていてるようである。 幅1.83m、長さ17.01m。

川原石第四橋梁

川原石第四橋梁

川原石第四橋梁

水ヶ迫川橋梁

水ヶ迫川橋梁は水路として使われていたものである。 現在、水路は暗渠となり物置場として使われているようである。 幅3.05m、長さ17.5m。

水ヶ迫川橋梁

水ヶ迫川橋梁

新宮川橋梁

新宮川橋梁は通路と水路の併用橋である。 幅2.44m、長さ28.35m。

新宮川橋梁

新宮川橋梁

新宮川橋梁

周辺地図

近辺略図

地図中の赤丸印が、現存する架道橋の位置である。

参考資料

  • 呉レンガ建造物研究会編.街のいろはレンガ色:呉レンガ考.広島,中国新聞社,1993,p66-67.(ISBN4-88517-165-2)

呉線目隠し板の支柱跡

1937年(昭和12年)、呉線新宮トンネル出口付近から約800mの区間に目隠し板が設置された。 沿線に突き出したコンクリート支柱を設置し、車窓の高さにトタン板を張り巡らせたものであった。

その支柱の一部が、現在も海岸四丁目に残っている。線路際から逆L字型のコンクリート製の支柱が突き出している。 これが目隠し板の支柱である。 2枚の写真はそれぞれ逆のアングルから撮影したものである。

呉線の目隠し板跡1

呉線の目隠し板跡2

すぐ近くにもう1基残っている。 現在残っているのは、ここに掲載した3基だけである。 この付近は、列車の車窓から呉港が一望できる。 目隠し板が設置されたのは戦艦大和の起工時期と重なっている。

呉線の目隠し板跡3

吉浦寄りにコンクリート製の支柱らしきものがもう一つ確認できるが、これが目隠し板の支柱であるかは不明。

呉線の目隠し板跡4

周辺地図

近辺略図

地図中の赤丸印が、現存する支柱の位置である。

アクセス

JR呉駅から広電バス天応川尻線(天応、吉浦方面ゆき)乗車。 「海岸四丁目」下車。

参考資料

  • 中国新聞 2001年(平成13年)8月13日付記事 「まちかどの戦争(1)」
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