本文へ
旧海軍工廠跡が一望できる地に、呉に関する記念碑がいくつか建立されている。
画像をクリックすると拡大表示。 戻るときには表示されたページ下部の「戻る」をクリック。
ここからは大和を建造したドック跡などを見ることができる。
ドックは埋め立てられてIHIマリンユナイテッドの工場として使用されている。 三角形の屋根は、大和建造時に後方の山からドックの大和を隠すために設置されたものである。
同じく「大和ドック」の屋根を反対側から撮影したもの。 60年前にここで写真を撮ったりしたら、憲兵さんに連行される。
1995年(平成7年)9月建立
1945年(昭和20年)9月19日の枕崎台風(309名)と1967年(昭和42年)7月9日(14名)の犠牲者を悼み建立された。
1958年(昭和33年)12月建立
呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす
正岡子規が明治28年3月9日に、古島一念の出征を見送るために広島から船で呉を訪れた際、正面に見える休山山麓の日暮れの情景を詠んだものといわれている。
1933年(昭和8年)3月建立
安藝郡長として呉市発展に力を注いだ澤原為綱の遺徳を顕彰するために建立された。 元々は二河公園の一角に建てられていたが、銅像は第二次大戦に供出、広島呉道路建設に伴い、1983年(昭和58年)12月当地に移設された。
1969年(昭和44年)建立
第30回大和進水日(8月8日)を記念し、呉大和会が設置した。 台座は大和の船体をかたどっており、断面形状も再現されている。 また、右側には46cm徹甲弾、左側には長門級の40cm徹甲弾が置かれている。
1990年(平成2年)4月22日建立
ほそぼそと 虧(か)けたる月に対(むか)ひつつ 戦は竟(つい)に寂しきものか
渡辺直己は呉市出身のアララギ派歌人。 10歳から短歌をつくりはじめる。 1937年(昭和12年)応召、日中戦争に従軍中の1939年(昭和14年)兵舎浸水による石灰爆発事故のため32歳で殉職した。
1993年(平成5年)建立
大和を建造した旧呉海軍工廠造船船渠の壁石を使ってドックに下りる階段を再現したものである。
1982年(昭和57年)建立
当時残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建てたものである。 縁石は堺川にかかる二重橋に使用されていたもの、銘板台座のレンガは旧海軍鎮守府開庁当時の庁舎建材を使っている。
JR呉駅から広電バス阿賀音戸の瀬戸線(路線番号2)または呉倉橋島線(路線番号1)に乗車。 「子規句碑前」で下車。
メール