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三十糎艦船連合呉支部

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長渠之碑

この碑は、文化14年(1817年)当時の宮原村庄屋 青盛為蔵が、雨期の大雨による洪水などの被害に苦しんだ室瀬大谷川の流水を、塔の岡(現在の海上自衛隊呉総監部庁舎付近)を経て水不足に悩む洗足(現在の総監部裏の石段付近から海岸に至る地区)に分水するため、全長約90間余(約180m)のトンネル放水路を築造し、住民の利をはかった功績を讃えた記念碑である。 碑文は、天保9年(1838年)8月、廣島藩の儒学者加藤景纉の手によるものである。

特に、室瀬と洗足の中間にある塔の岡73間(約140m)の掘削工事は、現在のような測量技術や建設機械がなかった当時には、大変な難工事あった。 為蔵は10人の決死隊を選び、5人ずつの昼夜交代で、7カ月をかけて完成させたと伝えられている。

長渠は明治19年(1886年)頃から始まった開発によって埋没し、見ることができなくなっている。 この碑は洗足の放水口付近に建てられていたが、開発により呉鎮守府の構内となった。 しかし、海軍は古人の功績をたたえるため小公園として保存していた。 戦後、碑は荒廃していたが、それを復元の上現在地(呉市立宮原小学校校庭)に移した。

難読文字の読み
・青盛為蔵(あおもりためぞう)
・洗足(せんぞく)
・景纉(かげつぐ)

長渠之碑1

長渠之碑2

長渠之碑3

長渠之碑4

長渠之碑5

アクセス

JR呉駅から広電バス阿賀音戸の瀬戸線(路線番号2)または呉倉橋島線(路線番号1)に乗車。 「子規句碑前」で下車。

宮原小学校の校庭海側にある。

参考資料

  • 呉市教育委員会 長渠の碑解説板
  • 中邨末吉.復刻再販呉軍港案内.呉,呉郷土史研究会,1999,p61-62.(ISBN4-9980741-1-3)
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