音戸町は、呉市南方の倉橋島の北側に位置し、倉橋島の約3分の1を占めている。 かつて広島県安芸郡音戸町であったが、2005年(平成17年)3月20日に呉市と合併した。
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音戸の瀬戸は警固屋と音戸町間に存在する長さ800m、幅は最狭部で70mの海峡である。
この音戸の瀬戸は、平清盛が開削したという伝説がある。 伝説によれば、1164年(長寛2年)10月に着工し、1165年(永万元年)7月に完成したとされている。 この工事の最終日、干潮を見計らって仕上に入ったが工事が終わる前に日が傾き始めた。 このとき、清盛は高烏台の岩頭に立ち、金扇で夕日を招き返し、その日のうちに工事を完成させたという。 他には、一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説もある。
しかしながら、この伝説は、歴史学・歴史地理学・民俗学からの検討によると、清盛以前から音戸瀬戸は瀬戸内海航路の主要航路であったことがわかっており、地質学・自然地理学からの検討でも否定的な結果が出ている。
音戸大橋のたもとの岩礁上に石垣を築き、高さ2.05mの宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられていて、清盛塚と呼ばれている。 その由来は「音戸の瀬戸を開削したとされる平清盛は、当時このような難工事には人柱をたてて工事の完成を祈願していたが、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈め,難工事を完成した。 1184年(元歴元年)に、村民が清盛の功績をたたえ、石塔を建てた。」と伝えられている。
JR呉駅から広電バス呉倉橋島線(波多見経由)乗車。「清盛塚」下車。 バスに乗車の際は波多見経由であることを必ず確認すること。