音戸町波多見の大浦崎一帯は、キャンプ場やスポーツ施設を備える大浦崎公園として整備されている。 大浦崎の地名は、この地に伝わる「お浦と治作」の悲恋物語にちなむものだという。
また、水産海洋技術センターを含むこの一帯には、第二次大戦中に特殊潜航艇の工場や搭乗員の訓練基地(P基地)が置かれていた。
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キャンプ場の端にP基地の碑が建立されている。 この碑の先の道を水産海洋技術センター方面に進むと、P基地の遺構が残っている。
水産海洋技術センターに至る道路沿いに残っているコンクリート塀は当時のものである。 水産海洋技術センター手前で一旦途切れて、構内に続いているように見えるが、構内のものは新しく見える。
水産海洋技術センターに至る道路の山側にも、建造物らしきものの残骸や、地下壕入口などが残っている。
水産海洋技術センターの正門前から左に進むと、山側に非常用発電機室の遺構が残っている。 表面はモルタル?で被われているが、内部や外壁断面を見ると煉瓦が確認できる。
水産海洋技術センターの敷地内には、水雷部の倉庫が残っている。 現在は資材倉庫として使用されている。
水産海洋技術センターの南側岸壁には、わずかながら遺構が残っている。 海中に見える2本のコンクリート柱は、特殊潜航艇釣り降ろしクレーンの脚柱である。
水産海洋技術センターの構内に、、古い係船柱が2つある。
海中に見える2本のコンクリート柱は、特殊潜航艇釣り降ろしクレーンの脚柱である。
旧桟橋付近には遺構らしきものはない。
但し、古い係船柱を2つ見つけることができる。 当時のものかどうかは不明。
北側の海岸沿いには、地下壕の跡が残っている。
岬の頂上には、お浦と治作の悲恋物語をしのんで作られた「睦みの鐘」がある。
情島に住んでいた治作という若者が、ある年の波多見の盆踊りで、お浦という娘を見そめた。 二人は毎日のように逢瀬を楽しんでいたが、それを気に入らない波多見の若衆が、ある夜二人を取り囲み、治作に「情島へ帰れ。 もう二度と来るな」と迫った。 若衆の語気に驚いた治作は、その場から逃げ出したが、若衆は治作を追いかけた。
岬の上に追いつめられた治作は、足を滑らせ海へ落ちてしまった。 翌朝、治作の遺骸が浜辺に打ち上げられた。 お浦は嘆き悲しみ、その夜に治作の落ちた岬から身を投げて死んでしまった。
無惨な結果に波多見の人々は自らの行為を後悔し、岬の上に祠を建てて二人の霊を弔ったという。 その後、この岬は「お浦の鼻」と呼ばれるようになった。
JR呉駅から広電バス呉倉橋島線(波多見経由)乗車。「水産試験場入口」下車。 徒歩10分。 バスに乗車の際は波多見経由であることを必ず確認すること。
自動車の場合は、駐車場有り。 夏期(7〜8月)は有料となるので注意。