新宮町の山腹に、旧高松宮邸が残っていたが、2010年(平成22年)12月に取り壊された。
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高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう)は、1905年(明治38年)1月3日に当時の皇太子嘉仁親王(大正天皇)の第三皇子として青山東宮御所で降誕。
この邸宅には、1933年(昭和8年)11月15日付で戦艦扶桑分隊長に補されてから、1934年(昭和9)11月10日に海軍大学校(甲種学生34期)に入学するまでの約1年近く住んでいた。 元々は金谷家の別邸であったものを、借り上げて住んでいたものらしい。
尚、江田島の第一術科学校(旧海軍兵学校)には、高松宮宣仁親王の特別官舎として1920年(大正9年)に総檜造で建築された建物が高松宮記念館として残っているが、一般向けには非公開である。
JR呉駅から広電バス天応川尻線(天応、吉浦方面ゆき[峠経由])に乗車。 「海上保安大学校入口」で下車。 徒歩10分。