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魚見山隧道は1941年(昭和16年)11月16日に着工、1943年(昭和18年)2月7日に貫通式を行ったが、戦局の悪化により1945年(昭和20年)1月に工事は中断された。 その後は第11航空廠の地下工場として利用され、そのまま終戦をむかえた。
戦後はしばらく放置されていたが、広島と呉市の復旧のため両市を結ぶ31号国道の整備が急がれ、1946年(昭和21年)9月1日工事を再開、1947年(昭和22年)12月15日に竣工、12月18日に開通式が挙行された。
1948年(昭和23年)港町小学校分校の通学専用橋として完成した。 これは、国道31号線魚見山隧道開通により、通学路が分断されたための措置である。 1959年(昭和34年)には、現在のようなPC合成桁橋に架け替えられた。 1962(昭和37)年 3月31日をもって、分校は廃止されたが、今もも地域住民のための橋として利用されている。
当時の写真を見ると、この橋は分校に直結していたようである。 また、西側に残る塀は、分校当時のもののようだ。