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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

田中八幡神社は文亀2年(1502年)に安芸郡熊野村(現・熊野町)の大宮八幡宮から勧請したとされている。 御祭神は、帯中津比子神(たらしなかつひこのみこと)、品陀和氣神(ほんだわけのみこと)、息長帯比賣神(おきながたらひめのみこと)である。

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注連縄柱

注連縄柱

注連縄柱

注連縄柱

注連縄柱

鳥居と玉垣

鳥居

鳥居

鳥居脇の一番目立つ玉垣には、地元の大スポンサーの社名が……。

玉垣

境内

境内

灯篭
灯篭

灯篭
灯篭

狛犬
狛犬

狛犬
狛犬

拝殿
拝殿

末社
末社

末社
末社

境内の記念碑

鳥居をくぐって左側に「戦役記念碑」がある。 これは、北清事変、日露戦争および大正三年乃至九年戦役の天応地区出征者を記念したものである。 題字は第五師団長山田 陸槌(やまだ りくつい)中将による。(1)

戦役記念碑

戦役記念碑

戦役記念碑

拝殿前左側に「征清凱旋碑」がある。 これは、明治28年4月17日に大屋村として建立したものである。(1)

征清凱旋碑

征清凱旋碑

境内に、もう一つ記念碑らしきものがある。 「明治廿九年九月吉日」、「大屋村中」と刻まれていて、側に砲弾があるが、委細不明。 砲弾は周囲75cmなので、口径24cm級である。

?記念碑

?記念碑

?記念碑

?記念碑

社叢:呉市天然記念物

この社叢は、元々は海に面した丘陵地で、呉市海岸部の社叢として代表的なものである。 風化した花崗岩の小丘に自然に着生したものと、神社境内に栽植されたものとがあるが、現在では自然植生はわずかに残されているだけである。 主な樹種は、高木層ではアベマキ、ウラジロガシ、クスノキ、クロガネモチ、モッコク、ヤブツバキ等、低木層はアラカシ、カナメモチ、クロキ、ネズミモチ等、草本層はベニシダで代表される。(2)(3)

社叢

社叢

社叢

社叢

社叢

社叢

フジノキ:呉市天然記念物

本殿裏のフジノキは、文亀2年(1502年)の神社建立以前からあったと伝えられている。 これが事実とすれば、樹齢500年以上となる。 このフジノキの根本は、約7本の幹が結着して1本の幹のように見え、根回りは4.15mである。 また、ひろがりは南北に約20m、東西に数mである。 南側に伸びている幹は、クロガネモチの大木(径0.6m、高さ約15m)の梢にまで達している。 北側のものは、約5mの高さで、約10mのびてモッコクの大木に達している。(4)

フジノキ
根元

フジノキ
北側

フジノキ
北側

フジノキ
南側

フジノキ
南側

フジノキ

フジノキ

アクセス

周辺地図

広電バス天応川尻線「大屋橋」下車,徒歩3分

参考資料

  1. ab呉市史編纂委員会編.呉市史第3巻.呉,呉市役所,1964,p347-349
  2. 金指正三、楠見久、久保田利数.呉の文化財.呉,呉市教育委員会,1990,p122-123
  3. 呉市教育委員会.呉市の文化財.http://www.city.kure.hiroshima.jp/~haigamine/kuresinobunkazai/kuresinobunkazai/sitenki%2016.html.(2011年1月9日参照)
  4. 前掲.呉の文化財.p124-125

撮影日

  • フジノキ:2013年4月27日
  • フジノキ以外:2010年10月23日
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