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縁起は不明であるが、永禄年間(1558〜1570)宮ヶ迫から、現在地に遷座したという口碑がある。 元は焼山八幡宮と呼ばれていたが、1872年(明治5年)に高尾神社と改称した(1)。
御祭神は帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと:仲哀天皇)、息長帯比売命(おきなかたらしひめのみこと:神功皇后)、品陀和気命(ほんだわけのみこと:応神天皇)。 相殿は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、久久迺智神(くくのちのかみ)、奥津日子神(おきつひこのかみ)奥津日女神(おきつひめのかみ)(2)。
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注連柱
参道
正面石段の狛犬
鳥居横の灯篭
鳥居
手水舎
神馬
大前の狛犬
西側階段の灯篭
拝殿
大歳神社
高尾神社の社叢は、クロマツ・スギ・アラカシ・ウラジロガシなどの高木を中心とし、ヒイラギ・ソヨゴ・ネズミモチ・カクレミノ・クロキ・タブノキ等の亜高木および低木で構成されている。(3)
高尾神社のフジノキは呉市天然記念物に指定されている。 境内の東斜面にあり、7本の株がいろいろな方向に伸びて、社叢を構成する高木に巻きついている。 この株全体の根がどこにあって,株と株とがどのようにつながっているのかは不明である。 ひろがりは南北に約33m、東西約21m、高さは最大13mに達している(3)。
1929年(昭和4年)1月に焼山村として建立。 題字は海軍大将谷口尚真、裏面には日清、日露、北清事変、第一次大戦の従軍者(戦没者含む)および昭和12〜20年の戦没者の氏名が刻まれている(4)。
頂部の砲身および周囲の砲弾の詳細は不明。 砲弾の周囲長が37.5cmであったので、実物であれば12cm砲の砲弾と考えられる。
JR呉駅から広電バス焼山熊野苗代線(昭和支所経由)乗車。 「昭和支所」下車、徒歩3分。
自動車の場合は、境内に駐車場あり。
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