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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

都立台場公園は旧品川第三台場を整備したものである。 1853年(嘉永6年)6月ペリーが来航開国の要求を目的に浦賀に来航した。 この事件で海防強化の必要性を痛感した幕府は、韮山代官・江川太郎左衛門英龍に命じ、江戸湾の防備として、品川沖の海上に 11基、海岸に1基の計12基の台場を築造する計画をたてた。

1853年(嘉永6年)8月に建設が開始され、1854年(嘉永7年)4月に第一〜三台場が完成、1854年(安政元年)12月に第五、第六台場が完成したが、財政難などの理由で1854年(嘉永7年)5月に第四、第七台場は建設途中で中止、残りの台場については未着工のまま計画中止となった。

1926年(大正15年)10月に第三、第六台場が国史跡に指定、1928年(昭和3年)7月には第三台場が都市公園「台場公園」として開園した。

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第三台場全景

第三台場全景

内部(東側隅から)
内部(東側隅から)

内部(北側隅から)
内部(北側隅から)

内部(西側隅から)
内部(西側隅から)

石垣

石垣

石垣

1854年(安政元年)12月に完成した第六台場は、第三台場の北側に残っている。 現在残っている台場は第三、第六台場のみである。

第六台場
第六台場

船着場跡

船着場跡

船着場跡

船着場跡

砲床跡

砲架は後世のダミーである。 第三台場には、36ポンド砲が配備されていた

砲床跡

砲床跡

砲床跡

陣屋跡

陣屋跡

陣屋跡

陣屋跡

陣屋跡

南東側土塁下

南東側土塁弾薬庫跡
弾薬庫跡

南東側土塁弾薬庫跡
弾薬庫跡

南東側土塁下構造物

玉置所
玉置所

南東側土塁下構造物
玉置所

南東側土塁下構造物
玉置所

南西側土塁下

南西側土塁弾薬庫跡
弾薬庫跡

南西側土塁下構造物

南西側土塁下構造物

かまど跡
かまど跡

かまど跡
かまど跡

かまど跡
かまど跡

かまど跡
かまど跡

南西側土塁弾薬庫跡
弾薬庫跡

北西側土塁下

北西側土塁下構造物

北西側土塁下構造物

北西側土塁下構造物

北西側土塁下構造物

北西側土塁下構造物

アクセス

東京臨海新交通臨海線(ゆりかもめ)「お台場海浜公園」下車。 徒歩12分 。

参考資料

  • 東京港埠頭株式会社.品川台場の歴史.http://www.tptc.co.jp/park/daiba/%E5%93%81%E5%B7%9D%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/tabid/725/Default.aspx.2011年10月16日参照
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