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クハ24+モハ103は1961年(昭和36年)ナニワ工機製の車輌である。 2両固定編成で使用されたが、これは下電としては初の試みであった。(3)
モハ110(カハ50→モハ50→モハ110)は 気動車(ガソリン動車)からの改造車である。 カハ50は加藤車輌製作所製の車輌で、1934年(昭和9年)4月17日認可で使用を開始した。 戦前から戦後にかけて主力気動車として活躍した。(4) 1949年(昭和24年)の電化開業に備え、電動化されモハ50となった。 改造は自社の下津井工場で、東京電気車輌が出張工事を行った。(5) その後、陳腐化した気動車改造電車の更新が下津井工場で行われ、モハ50→モハ110となった。 モハ110は他の気動車改造電車と異なり、両運転台とされた。 これは電気機関車の代用として貨車や保線用牽引や閑散時の単行運転に充てるためである。(6) 1977年(昭和52年)に廃車され、1988年(昭和63年)に車体が鷲羽山駅待合室に転用された。(7)
廃車体は、形状から清水鉄鋼所製のホハフ1または2と思われる。 この車輌は味野町(のち・児島)―茶屋町間の開業にあわせて準備された車輌である。(8)